陸海軍戦史に学ぶ負ける組織と日本人

 本のそでに書かれた一文。「組織としての危機管理能力、指揮系統の柔軟性と迅速性がなければ、ただの張子の虎である。」耳が痛くありませんか?そこの上長の皆様!お願いしますよ、マジで。

 この本は、戦争中の陸/海軍の作戦行動の欠点を明らかにし、組織論という観点から集団としての日本と日本人の問題点を探っていく、という内容です。

面白かった点は、「平時と戦時の人事を同じにしてはならない」「季節感を無視した作戦は失敗する」「会計年度に縛られた作戦も失敗する」というところです。多くの企業で同じことが起きていると思います。歴史は繰り返す。

 肝心なのは負けたあと、最年長で将棋の名人になった米長邦雄氏の名セリフ。小学生の頃にこのタイトルの本を読んでいて、周囲から奇人扱いされていたような。それはともかく、もう負けるのは懲り懲りです、私は。なかなか日本も難しい状況にあると思いますが、他国も一緒です。本書で指摘された点を繰り返さないだけで生産性はあがると思います。断言してもいいです。

「複雑系」とは何か

  今日は少し小難しい本をご紹介します。一番難しい書籍かも、専門性が高い意味で。

 

本書のタイトルである、「複雑系」とは何か。一言で説明すると、

 世界をシステムベースで再定義する科学。複雑なものを複雑なまま捉えようとする科学

 といったところでしょうか。

 脱・要素還元論としての学問とも言えると思います。本の帯の言葉通り、

           これが新しい「知」のパラダイムだ!

 なお、本書は、96年に刊行された本であり、それからの約20年の年月を経ていますが、その本質はほとんど変わっていません。その本質的な部分を感じさせてくれる一冊です。学際的な内容ですので、かなり歯ごたえがあると思います。知識集約型の最難度の創薬事業もこの複雑系のエッセンスを少しでも加味すれば、成功率が上がるであろう、という確かな予感を私はもっています。また、哲学的な雰囲気を醸し出す学問でもあるので、非理系でも理屈好きな文系の方でも楽しめる内容ではないかと思います。ぜひお読みください。

上級国民 下級国民

 橘氏は本当に切り込んだテーマに取り組みますよね。この人にはタブーがないのでしょう、私と一緒かな。。。そもそも下級でいけないのか、上級は本当にいいのか、という根本的疑問はあります。。

  キーワードは「モテ」「知能社会」「リベラル化」「グローバル」といったところでしょうか。内容は、「世界レベルで急速に深奥する分断の正体」を明晰な論理と具体的データで論じていくものです。シニカルなところがありつつも、確実にやってくるであろう未来を予想しています。おそらくほとんどその通りになると思います。

 で、肝心なのはどうするか。橘氏もヒントを提示していますが、私からも提案、しかもチョー具体的。それはずばり「教科書を読め」かな。基本概念、専門単語の定義、年表、地図などなど。それらがコンパクトにまとまったのは、まさに教科書です。高校の教科書は最高のビジネス書です。佐藤優氏も同じことを言っていたような気がします。

 少し前こんなことがありました。薬物動態系の同期に『「定常状態」って何?説明して。平衡と何が違うの??』と聞いてみました。まともな答えが返ってきませんでした。彼は国公立大学出身の日本有数の製薬研究職です。実績もあります。人望もあります。彼が即答できなかったといって彼を貶めるつもりはありません。でも、答えてほしかった、彼の専門領域だったから、正直言うと。。。彼の名誉のために言いますが、彼はきっと大学の定期試験等ではもちろん答えられたはずです。日本の研究職のレベルはこのくらいだと思います、正直。答えが気になる方はぜひググってみてください。定常状態を理解すると、薬物動態だけでなく、反応速度論や化学工学に活用できます。(Monodの式とミカエリスメンテン式は一緒の形をしていますね、そういえば。)

 何を言いたいかというと、応用問題は物事の正確な理解の上に成り立ちます。そして、現代の日本・世界に関わる課題はすべて応用問題です。基礎を理解し、現実に応用すればそれらは必ず解決できると私は信じています。深刻な課題といえば、、、人口減少社会、失業問題、ロールモデル不在、人材流出。。。挙げるとキリがありません。ただ、教科書を読めば、かならずヒントが見つかると思っています。

 

人口動態モデルは頭に入っていますか?失業の定義は?そもそもモデルってどんな意味?昔の日本や諸外国はどんな人材育成制度を計画しましたか?

 

 かならず教科書に上記質問の答えがあります。その答えがわかれば、上記課題って何とかなりそうな気がしませんか? 確かに、昔の常識が通用しない簡単でない時代に既に本格的に突入しています。令和はこれが常態化します。本書の上級/下級の区別も本当でしょう。

 ぜひ本書と良質な教科書を読んで、志のある方と課題解決していきたいものです。当方、やる気はありますよ、口と性格は悪いですけど、いろんな方からお墨付き。そういえば、最近、「お前はひねくれもの」と親戚から怖い顔と鬼のような剣幕で絶叫されました、。大正解、よくわかりましたね!!と笑顔で握手したくなりました笑。 By へりくつこねお。

微分・積分を知らずに経営を語るな

(久しぶりの投稿です。今日よりまた投稿を再開します。)

 なかなか刺激的なタイトルですよね。ただ難しい数式はほとんど出てこないので数式アレルギーなあなたにも大丈夫♡
 で、肝心の内容ですが、物事の微小変化を捉える「微分」と、その微小範囲を積算する「積分」の利用で、ビジネスを捉えてみてはいかがでしょう、という内容です。具体的には、利益の出し方、在庫管理、マーケティング、品質、コスト管理。なんだかとってもビジネスに活きてきそうな気がしませんか。
 具象化、つまりグラフ化のメリットがよくわかる内容と思いました。グラフ化するメリット、それは未来を予想できること。これにつきます。私は定量的システムズ薬理学/生物学や生物化学工学に興味があります。かなりこの領域は数式だらけの小難しい学問ですが、本書を読むとその意義やインパクトがよくわかると思います。菅田将暉君主演中の大ヒット映画「アルキメデスの大戦」、この世界観にもつながる内容です。

なぜあなたの研究は進まないのか?

「研究が進まない理由は,君のせいではない。こういう指導者に巡り合わなかったからです。研究で迷える大学院生や若手研究者諸君,まだ間に合うぞ! 本書を一読して研究を立て直せ! 」こんなに励まされるメッセージが他にあるでしょうか。ちなみに、これは帯に書かれているメッセージです。Amazonの内容紹介にも書かれているように、研究が進まない理由から迫る研究生活サバイバル術! すべての研究者へ送る,困難を突破するための道標! となる一冊です。具体的には、「研究が進まない理由」を40のQuestionにまとめAnswerで答える、という形式です。とても簡潔な構成でスキマ時間でも読めます。指導経験だけでなくご自身の研究活動が豊富な著者ならではの実践的な内容です。

例えば、こんなQuestionに対する著者の考えが書いてあります。

 

  「目の前の疑問やテーマにすぐに飛びついていないか?」「自分1人でやろうとしていないか」「モデルとは何かを理解しているか?」

 

 また、結果がどうしても出なかった時のバックアップや気持ちが病んできた時とかの対処法といったベテラン研究員や大学教員でも陥りやすいことなど書かれています。例えば、

 

   「研究で困難に直面し、辛い思いをするのは無駄ではないと知っているか?」

 

 とか。いい意味で突飛なウルトラC解決法は書かれていません。しかし、そこが逆にいいところです。 ぜひ本書を読んであなたの研究/仕事を前に進めましょう、創造的になるために、そしてあり続けるために。

怖い凡人

 まずこの本の帯が衝撃的です。「平凡な人ほど他人を蹴落とし、のし上がる。児童虐待東芝不正会計、日大悪質タックル、ボクシング協会会長……すべて他人事ではない!『ヤバい権力者』から身を守れ!」
 平積みされている新書コーナーの中でとても目立つビジュアルを本書は放っています。表紙のバックが黒で印字の文字が白。しかし、もっとすごいのはその内容。企業、官公庁、学校などの組織でみられる「平凡なワンマントップ」が(本書では「アイヒマン的凡人」と表記)、本当に優秀な人物を排除していくケースを具体的に紹介し、論理的な検証を重ねているのが本書の内容です。具体例は、東芝不正会計問題や日大タックル問題、そしてヒトラーが率いたナチス・ドイツで起こった出来事など。
 すごいなと思ったのは日本における入試制度と企業土壌との次の指摘。「日本の現在の入試制度は、主に記憶力と情報処理能力をみるものである。よって、思考力がゼロでも丸暗記能力で偏差値の高い大学に入学できる。よって大企業も中小企業も思考力が乏しいアイヒマンであふれている」と。さらに、「空気」という暗黙の同調圧力といった環境がアイヒマン的凡人をのさばらせる日本の組織土壌についても言及。著者は臨床経験があるとのことですが、実際の組織に所属していなくても公知情報だけでここまでリアリティのある説得力のある考察ができる点がすばらしい。著者は本物の精神科医です。こんなに鋭い着眼点をもつ精神科の先生も日本にはいらっしゃるんですね。
 そういえば、16-17世紀の天文学の父、ガリレオ・ガリレイは異端尋問にかけられ、失職、軟禁状態に追い込まれたりしましたね。そんなガリレオの名誉回復がおきたのはつい最近ということをついこの前知りました。ローマ教皇が公式に謝罪したのは1992年、地動説を認めたのは2008年でした (まだ10年と少ししか経っていない)。最近、この事実を知って本当にびっくりしました。文字通り、「天地をひっくり返す」イノベーションの正当な評価にはこのくらい時間がかかるものなんですかね。少しでもそのギャップが埋まるといいなと思う今日この頃。。。

私見_創造性発揮には本を読め?

 今回はテイストを変えて、この書評ブログを立ち上げた個人的なきっかけを気の向くままに書いてみたいと思います。

 

  先日、某部署のとある方が、本タイトルのようなことを述べられていました。たしかに、まあそうかなと思う方が多いかと。私もその一人です。では、なぜ今さら「本を読め」なのでしょうか?その方の残りのお話はきれいさっぱり忘れてしまったのですが、なぜか妙に私の頭にそのフレーズが染み付きました。なぜそう思うのかを少し考えてみました。

  経済学者ヨーゼフ・シュンペーターの引用をわざわざ紹介するまでもなく、創造=イノベーション(アイデア)は「既存の要素」の組みあわせと定義されています。つまり、アイデア創出には「既存の要素」が何であるかを知る必要があるわけです。ということは、「既存の要素」を知るのに「本を読め」ということになりますが、これだといささか飛躍があります。なぜなら、読書以外でもその目的が達成できる場合もあるからです(知識だけならwikiで調べればいいですし、競合品探しはデータベースで事足ります)。そうではなくて、創造するには「本を読め」なのです。(他方、組みあわせのやり方を学ぶために「本を読め」とおっしゃっているのかもしれません。ただ、やはり組みあわせようと思ってもやはり「既存の要素」を知ってからどう組みあわせようかと考えるのが自然でしょう。)

 ということはどういうこと? wikiやデータベースではできない点を書籍に求める、と考えるのが自然でしょうか。では、両者の違いはいったい何なのですかね (なお、ここではハナシをわかりやすくするために、書籍=評論としておきます)。両者の違いとしていくつか挙げられそうですが(掲載内容の違いなど)、ここでは立証責任という観点を提示したい。ずばり、前者(の管理人・作成者)は立証責任はありませんが、後者(の作者)にはその責任があります。どういうことか説明します。前者の場合、目的が情報のアーカイブである以上、新たな視点は基本的に要求されません。もちろん、明らかな誤りは訂正されるべきですが、時代によって掲載内容の定義が変わってくるので更新されるというケースが少なくありません。つまり、その都度変えていけばいいだけです(wikiもデータベースも何回も何回も改訂されていますよね。)。他方、後者はそうはいきません。書籍である以上は、読者に対して常にそのときに新たなものの見方を提示されているのが一般的です。少なくとも読者に「新しい」と思わせなくては、まず手にとってもらえません(もちろん、買ってももらえません。)俺の新たなものの見方は○○○だ、今まではこういう考え方が主流で、代表的な考え方が×××、これと比べてメリットは△△△だ、ということを立証して読者は納得して同意してくれないわけです。致命的なのは、それができない著者つまり読者のいない著者に存在価値はありません。つまり、「本を読む」というのは著者の立証責任を検証するというプロセスなのです。その観点で書籍に目を通してみると、実に著者は様々な視点でわれわれ読者を説得しようとしています。説得するためにあの手この手。巷の主張を持ち出しそれに反論するという形で自分の意見を主張したり、グラフをもちだして図解しようとしたりするケースもあります。あるいは凝った説明だと、イントロにその主張にまつわる「歴史」という観点をもち出し大局的な観点からどうのこうのと論じていたりします。場合によっては、同じ内容を文章のなかで何度も何度も主張していたりする作家・著者もよくみます。

 ところで、このプロセス何かに似ていると思いませんか?そうです。われわれの研究開発の業務立案にそっくりです(会議等で差別化点、差別化点と口を酸っぱくして指摘されますよね)。この文章を読まれている方のなかで、この手の立証責任に関わらない方はいないと思います(研究手法、組織運営等々)。ここで私からのささやかな提案です。「本を読む」ということを通じて立証責任のパターンをストックしておくと、俺/私のアイデアはこんなに創造的なのだということが評価者によく伝わると思うのです。この上手い下手で同じ内容を説明するにしても、結果は大きく変わってくるはずです。(iPS細胞の山中先生の最初の予算がとれたのは目的の幹細胞をとるための明確なストーリーが描けていたからだと、京大岸本教授が述べていたのは有名な話だと思います。)もちろん前提となるアイデア自体が重要であるのは言うまでもないのですが、それのみではなかなか「創造的」と認めさせるのは容易ではないと思います。 

(論証の仕方自体を演繹的に学ぶというもの一つなのですが、具体的に何らかのトピックの論証を通じてその型を知る、という帰納的な考え方の方が研究開発にはふさわしいと思います。哲学科論理学のトピックも個人的には好きなんですけどね。。。)

 

で、この書評コーナーの狙いです。

 とはいえ、「本を読め」という号令がかかるということは、ずばり「本を読む」ことはとどのつまり「メンドくさい」ことなのです。(すぐできることに対して、わざわざ「号令」はかけません。)振り返ってみると、「本を読め」とは小学校の宿題から端を発するフレーズです。私たちは何度このセリフを何回も何回も親や教師から言われてきたのでしょうか。「では、そういう先生方は昨日どんな本を読みましたかと?」と言い返したいと思ってからはや数十年。。。

 ところで、私はなぜか本屋の近くに住んでいるせいもあって、同世代平均よりは割と読書するタイプだと自負しています。しかも、ジャンルを問わずわりと乱読するタイプですので、私が目を通した本が「こんな本もあるのね」と思って頂けるのではと淡い期待をしています。もちろん、ただ感想を述べるのではなく、私が読んだ本から読みとった創造性へのヒント(めいたもの)も提示したいと思います。皆様の活動の少しでもご参考になれば幸甚です。 

 

(追記)某飲み会のときに、後輩に「先輩のメールは長い」と指摘されました。「文字の多さは責任感の表れです」と即座に立証責任を果たしたくなる衝動にかられました。